東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に関する情報

インタビュー ~防災科学研究拠点メンバーからのメッセージ~


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古文書の災害記録を掘り起こすことで将来の災害に備える

平川 新 (東北大学 防災科学研究拠点代表 東北アジア研究センター 教授)


古文書の保存が災害研究との関わりの始まり

 私は、歴史学、中でも江戸時代史を専門としています。古文書を材料に、そこに書かれていることを読んで分析することが歴史研究の方法論ですが、これらの古文書が、災害を経験するごとに大量に失われております。歴史分析の対象としている古文書は、旧家の土蔵にしまわれていることが多いのですが、地震などの災害で土蔵が壊れると、壊れた土蔵の片付けとともに古文書も処分されてしまうからです。これまでも、災害のあとすぐに旧家をたずね、貴重な資料が逸散しないよう史料の保全に努める活動をしてきましたが、このような状況に危機感を覚えたわたしたちは、災害後の保全活動から災害に遭う前に古文書を守る、つまり文化財を災害から守るという意味の防災活動を始めたのです。

 いま、私たちが保全しようとしている古文書は、自分たちの研究テーマに直接に関係あるものばかりではありません、保全の対象とするのは、旧家に残っている古文書の全てです。これらは、将来的な研究のための基本資料となり、人類の共通財産ともいえるものなので、可能な限り残しておく必要があると考えています。私はこの古文書保全をただの手法にとどまらず、歴史資料保全学にまで高めていきたいと考えています。



(歴史資料保全作業の様子)

古文書で歴史的な災害の再現を

 いままで、たくさんの古文書を保存してきましたが、その中には災害の記録も多くあります。災害はその地域の人々にとって大きな出来事なので記録化されやすいのでしょう。そういった記録を丹念に探していくことで、従来知られていなかった災害を知ることができます。私たちも地震や津波に限らず、東北地方におけるいくつかの災害を新たに発見しています。

 特に、地震、津波研究は、過去の災害記録、いわゆる歴史地震、歴史津波というようなものが現代の研究のベースの一つになっていますので、新しい記録が出てくれば、地震予知にも影響を及ぼすことが考えられます。また、広い地域の記録を横並びで見ることで、災害の地域的な広がりや津波がいつ到達したかなどがわかるので、その結果は、災害の理工学的な検証にも利用できるようになるでしょう。また、古文書には被災記録もありますから、それらを詳細に見ていくことで、当時の災害を再現できると考えています。

 古文書と地震・津波研究は、一見つながりが無いように思えますが、過去の出来事は現代の研究にも意味をもつので、そういったことを災害研究の場に提供することで、歴史学者が災害研究の発展に貢献できるのではないでしょうか。

千年に一度でなく、五百年に一度だったら。。

 今回の災害は「千年に一度の規模」とマスコミなどではよく言われています。それは、およそ千年前の貞観津波(西暦869年)のことを指していますが、この、「千年に一度」という言説が流布しすぎてしまったことも、大地震・大津波にたいする危機感を弱めた一つの理由ではないかと思っています。実際、貞観津波と同規模と推定される津波として、1611年に慶長津波が起こっています。慶長津波についての研究は、貞観津波よりも遅れていたため、情報として発信された部分が少なかったのですが、もっと発信されていれば、大災害は「四、五百年に一度」の頻度でやってくると認識されていたはずです。

 人は、「千年に一度」といわれると、自分の時代には絶対に来ないという感覚を持ってしまいます。これが、仮に「四、五百年に一度」であったなら、警戒心は倍になったはずで、災害に対する備えをより真剣に考えるということになっていたと思います。

 慶長津波については、文献研究に取り組もうとしていた矢先でした。もう少し早く研究に手を付け、警告を発していれば、慶長津波にたいする認識も深まっていたかもしれません。歴史学でも、地震・津波などの災害史研究をもっと活発化していく必要があります。

防災科学研究拠点のリーダーとして

 東北大学防災科学研究拠点は、2007年に学内の文理連携チームとして発足しました。東北大学には、理系はもちろん、経済学や法学、心理学などの面から防災に関する研究をしている先生方多くいますが、各先生方の研究成果は、各先生と社会との個別のつながりのなかで発信されており、東北大学全体としてどのような防災研究が行われているかが見えていませんでした。

 宮城県沖地震の発生が目前に迫ると言われる中、東北大学の防災研究をまとまった形で見えるようにし、社会のニーズに答える場を作ることが必要だと考えたことが、拠点設立の一つの理由です。また、従来の研究は、専門領域を深めていくものですが、いくつかの専門分野が連携することで新しい研究課題を見つけ、研究を推進することで様々な社会のニーズに応えていけると考えたのです。

 今回の災害でも、それぞれがバラバラにではなく防災研究拠点として動くことができました。拠点の設立段階から様々な分野の先生方と共同で防災研究に取り組んできたこと、そして、このような大災害に対して、大学として動くことができたのは、非常に大きかったと思います。

 この研究拠点は、当初20人ほどの先生方が集まり、緩やかな研究連携をすることで始まりました。今回の災害を期に、さらに多くの先生方の参加を得、メンバーは約40人になっています。今後、研究拠点機能をさらに高め、これまでの研究や今回の災害の研究成果をこの地域だけに還元するのではなく、東海・東南海地震が想定される地域はもちろんのこと、世界的にも関心が高い地震・津波災害の研究成果を国際的にも還元していくという意思を持って、震災後、「国際拠点」化をはかることにしました。将来的には、国際的な研究者を呼んだり留学生を受け入れるなど、海外との連携も図りつつ研究を推進していくことで、より広い防災研究を展開していきたいと考えています。













 平川 新 (ひらかわ あらた)
 東北大学 東北アジア研究センター 教授
 博士(文学)

 専門:日本近世政治経済史
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